終わメモ小論文
「ときメモと私」
〜私がときメモヒロインを選んだ訳〜
[乙女想夢] 館長 R-chan

2000/03/07作成(2000/03/25更新)


1994年・・・
その頃は、私がまだ草の根BBSやNifty-Serve(今の@NIFTY)で98互換機を動かしていた頃でした。先 にPC-Engine用ときめきメモリアルが発売され、グッズ類が小規模ながらも置かれていましたが、今の ような豊富な種類ではなくアクセサリーが一般的に出回る程度。

「ときメモってなんやそれ?」

一般的には、あまり浸透していないため、初プレイをした人の感想も理解出来ませんでした。ただ、ア クセサリーグッズだけは見付けて、良いヒロインの物が見付かると購入し、後でそのキャラの名前を教 えて貰ったりもしました。その時に手に入れたのは、虹野沙希キーアクセサリーでした。今はどこに隠 れたのか分かりません。


1995年・・・
それは忘れもしない、私の誕生日の10月15日。プレイステーション用ときメモが発売され、その新鮮さ に仲間内で購入する者が増えて来ました。私は、とりあえず資金確保。今回、プレステ本体も同時購入 する事になるので、プレステ本体は出来るだけ中古でも質の良い物を選ぶ事になりました。が、なかな か良い物が見付かりません。しかし、ときメモは新品購入と言うこだわりがあり、通常版ですが無事購 入する事が出来ました。その後、PSマウスを入手し、最後にプレステ本体をゲット。プレイ直後の初感 想は・・・

「名前入れるの?」

・・・でした。仕方がないので一通り入力し、次の画面へ・・・

「へえ〜、藤崎詩織ちゃんって、誕生日ないんだ」

思わず10月15日と入力する(同時バースディのこだわりがミエミエ)。
最初の画面・・・早乙女良雄?こいつは何者だ。
しばらくして、詩織ちゃん登場。
以下、黙々とプレイした結果、虹野沙希ちゃんに告白される。

「あれ・・・詩織ちゃんは?」

その後、古式ゆかりちゃん、清川望ちゃん、朝日奈夕子ちゃん、早乙女優美ちゃんとクリアして行き、 最後に伊集院レイちゃんをクリアする事になります

さて問題です。藤崎詩織ちゃんは何人目にクリアしたのでしょうか?

答えは6人目でした。本命だったのに(笑)


1996年・・・1997年
この頃から著作権法が改正され、キャラCGはより厳しくなって行きました。実際にコミケットでもオリジ ナルの占める割合が多く、インターネット関連でも個人がそれを描く事を規制するプロバイダーが出て 来た頃です。
同じく97年の9月24日、ここのホームページの前身「R-chanのパフーなホームページ」を開設。
版権物を置かず、オリジナルのみのものでしたが、開設後は宣伝して回りました。まだ今のような腕も なく、中ではリンクを拒む方もいましたが、何とか腕を高めたい・・・それ一心で描き続けました。
その後、キャラクター専科(今のときメモCG、キャラCGの前身)のページを開設し、とりあえず1枚。
ちょうどその頃、セーラームーンがテレビで放送していたので「水野亜美」ちゃんを公開。
当時はまだ16色が主流でしたから今みたいな発色はありませんでしたが、Macintoshを持たれていた 方は多色CGを公開されていたので良いなっと思っていました。

この頃のときメモプレイですが、ドラマシリーズは1作目プレイしたっきりですし、Windowsアクセサリー集 も1作目購入で留まっているんです。

そう、1996〜1998年は私にとって魔の3年間なのです。
CG製作技術力の低下も最もですが、会社の全ての仕事が私と助手の二人に任された時期。
私から趣味も教養も技術も全て奪われた年だったのです。

今の私からは想像も出来ないと思いますけど、そんな時期があったのです。


1998年・・・1999年
98年後半になると今までとは違って人数も倍になり、作業も順調に進みました。ですが、新作が全く描 けないんです。別にスランプでもないのに、描く気力まで奪われてしまったような感覚。他のホームペー ジの管理人は、次から次へ新作を公開しているのに、私のホームページだけ、掲示板の新設を繰り返 すだけ・・・悲しくなりましたよ。CG描けないんですから・・・

ですが、運命はまたも、ときメモでした。
リニューアル前にある方がウチのホームページに来られました。
「ときメモキャラを描かれている!」
私にとって、とても新鮮でした。今でもときメモを愛している人がいる。

1999年12月12日。思い切ってリニューアルしちゃいました。
今の形のホームページが完成しました。
きっかけは簡単です。ときめきメモリアル2の発売が11月25日。早速購入しに行きました。その進ん だシステムと魅力的なキャラクターに再び舞い上がった私は一回目で陽ノ下光ちゃんを無事にクリア。 そう、この時・・・私を救ってくれたのは、またもときメモだったのです。最後まで諦めずに物事を進める と、必ずそれは実現出来ると言う事を教えてくれたのです。その後白雪姉妹をクリア、八重花桜梨ちゃ んをクリアするにつれて・・・


2000年・・・
「待てよ、もしかしたら描けるのでは・・・」

そう思い始めていました。
試しに何枚か描いてみると、少しずつですが似て来るんです。
最後にこれで行こうと出来上がったのが、現在GALLERY館で公開されている陽ノ下光ちゃんです。

公開前に、是非誰かに特別版をお贈りしたいと思っていた時・・・
ちょうどある方のホームページが1000アクセス行く寸前。1000カウント突破記念にお贈り致し ました。自分はこんな記念CG貰わなかったので、後から来られる方の為に何かしてあげたい。

何か記念に残る時にお贈りしたい・・・
お節介かと思われるかも知れませんが、私はいつもお節介です^^;
人が困っている事を見逃すような事はしたくないだけです。ただそれだけです。
これを偽善者と思う人もいます。そう言われた時、私ならこう答えます。

「ときメモらーにそのような人がいるんですか?」

あと、皆さんからキレイと言われている私のCGですが、実はときメモによって再び描ける事が出来たと 書くと変に思われるかも知れませんが、これは紛れもない事実です。

実際に1998〜1999年に掛けて、ほとんど新作描いていないんですから・・・

私はこれからも「ときめきメモリアル1と2」を支持して行きます。
私のCG技術を蘇らせた作品ですから。


いまだ、私の論文は未完成…2000/03/25